Apple WatchのCMから眺める【テクノロジーの未来】と【自由の死】

レビュー

こんばんわ。製薬企業勤務の酔っ払い科学者と申す。

あなたの知的好奇心をびしばし刺激するような情報を発信してゆく!

好きなビールは琥珀えびす!

いきなりだが、以下のCMをまずは見て欲しい。たったの40秒だ!

Apple Watch Series 4 — 腕に導かれて — Apple

Apple Japanが限定公開した「Apple Watch Series 4 — 腕に導かれて —」と題した動画だ。

2019年6月くらいに公開されたCMだ。文字通り、時計があなたを健康へと【導いてくれる】様子をユーモラスに表現している。女優さんがかわいい。アンニュイな表情が良い。ぐっとくる。

ところで、このCMにどの様な感想を持っただろうか?

世間の一部のリアクション:なんか嫌い

このCM、どうやらプチ炎上していたらしい。

試しに「Apple Watch CM」とGoogle検索に入れてみると、次の検索ワード候補の上位に「嫌い」などと出てくる。

「 Apple Watch CM 嫌い」で検索をかけると、一部の人が嫌いな理由を纏めている記事なども出てくる。

嫌いな理由としては下記の3点がある様だ。

  1. 周りに迷惑をかけている
  2. 機械に支配されている
  3. YouTubeでしつこいくらいみて飽きた

まぁ…1に関しては、これフィクションじゃん…と思う訳だが、なんというか日本人は心の狭い民族になってしまったなぁと…ここでは触れない。3も知らん。見るな。

この記事で着目したいのは2の「機械に支配されている」という理由だ。

確かに、機械に支配されている。エレベータとかタクシーとか使いたかったけど、無理やりApple watchに「あかんあかん!運動せぇ!」と指示をされ、女優さんはアンニュイな表情でそれに従う。人間様が機械ごときに支配されている!確かになんかムカつくぞ!

基本的に、私たちは機械にコントロールされる事を好まない様だ。

2019年、Nature Machine Intelligenceに【AIは人間の信頼を勝ち取るか!?】という面白い問いに取り組んだ研究結果が報告された。

他人との協力が必要なゲームに参加した被験者は、協力者がAIであるという事実を知らなかった場合は人間よりもAIを信頼した。一方で「この協力者はAIなんだよね」と事前に知らされると、信頼度は下がった。

指示の中身より【何に指示されるか】に重きを置く人間の滑稽を炙り出した面白い研究であり、人間が機械に支配されたくない事を客観的に示す研究だろう。

***

では、一体どうして人間は機械に支配されるのが嫌なのか?

だってさ、Apple Watchが私たちに与えてくれるのは健康でしょ?最高じゃん。有難いじゃん。AIだってゲームなどの限定的なタクスにおいては、人間を超えて良い判断をしてくれるでしょ?ゲームに勝ちたいならAIを信用しとけよ~。

でも、ヒトは言う。

「なんかヤダ」

なんでやねん。

本日の記事では、この人間の不条理を考察していきたい。

恐らくこの背景には【自由意志の死】がある。拒否反応はここに根差すだろう。

読む前の注意点

ここからは主に著者の私見で考察を進めていくので「ほ~ん、そんな考えもあるのね」くらいのライトな感覚で読んで頂けると幸いだ。

この記事に目的があるわけではない。強いていうなれば知的好奇心だ。おもろいからだ。私たちが何を恐れてて、その恐れが何に根差してて、その恐れは何処まで妥当かどうかを知りたい、それだけだ。

特に恐怖を煽るつもりは毛頭ない。特定の科学分野を否定する気も全くない。

世の中で起きている現象を俯瞰的に眺めてみて、おーなんか凄い事になっとる、わはは、おもろ、と。この面白さを共有できればいいなぁくらいのライトな感じで書いている。そんなゆる~い感じで読んで頂けたら嬉しい。

本日のテーマは【自由意志の死】だ!

という訳で前置きが長くなったが、本日のテーマは【自由意志の死】だ。

先で見たように、私たちは機械に支配されるのが【なんかイヤ】なのだ。自由意志が死ぬからだ。

どうやら私たちは(場合によっては)判断の合理性よりも、自由か否かに重きを置くようだ。Apple WatchのCMに対し「あのやり方は運動効果が低い」みたいな合理性に関する議論があっても良かっただろう。ただ、実際には「自由か否か」という軸で議論は展開した。

何故自由にこだわるのか?そこまで自由には価値があるのか?

本記事では、私たちが【自由が最高!】という価値観を抱くに至った歴史背景を考察し、次に最先端の科学研究の一端を覗くことで、Apple WatchのCMで見たような【自由の死】が今後、至る所で生じる事を予測する。更に、私たちが自由を放棄する場面をいくつか列挙し、どういった状況で私たちが自由を放棄するか?そして将来自由はどこまで失われるか?を考える。

目次!
  1. 自由が最高!その歴史的背景。
  2. 死の足音①:脳科学【自由!?んなもんねぇよ!!】
  3. 死の足音②:人工知能&ビックデータ【ワタシガヤッテオキマスノデオマエハヘデモコイテロヤ!!】
  4. グッバイ、自由
  5. 真夜中に耳を澄ませる話

まずは歴史的な背景から辿ってゆく。

自由が最高!その歴史的背景

私たちは自由が好きだ。とにかく好きだ。ツイッターを見てても「あんたは自由だぜ!」みたいなツイートは共感を呼ぶし、ドラマや映画で主人公は本当の自分の声を聴いて決断を下す。

リスクを冒し、挑戦し、沢山の挫折と経験の中で本当の自分と出会い、やがて過去の慣習や宿命から解き放たれて、成功や幸福を手に入れる。こうしたストーリーは世界に溢れているし、私たちの心を強く打つ。

この私たちの自由好きは何処に根をはっているのだろう?

自由の勝利。3つのイデオロギーの戦いと決着。

この自由が最高!という物語が世界を支配したのは1990年代だ。

当時、 ファシズム/共産主義/自由主義という3つのイデオロギーの激しい戦いがあった。 2つの世界大戦と冷戦を経て、自由主義が勝利を収めた。

この自由主義とは何か?ユヴァルノアハラリ著の「21 Lessons」の表現を借りると、下記の要になる。

自由主義とは、自由と圧政の闘争として歴史を解釈し、全ての人が自由に、平和的に協力し、例え平等は犠牲にしても中央統制を最小限にとどめる世界を夢描いた思想である

ユヴュルノアハラリ著の「21 Lessons」 より引用。一部表現を改変。

例え平等は犠牲にしても、自由が最高という考え方だ。

私たちの住む世界は複雑で困難に満ちている。だが、自由主義の解決法は常に非常にシンプルだ。

より多くの人に自由を与えればよい!これだけだ。

具体的には、人権を擁護し、選挙権を与え、自由市場を確立し、個人のアイディアや財産が世界を自由に移動できるようにすればよい!(+で後から福祉政策が追加された)

こうすれば世界は豊かになり、多くの国民を貧困や暴力から守る事ができる!と自由主義は考えた。

さて、実際に世界はどうなったのか?

自由主義の実績:世界は良くなった!

実際に1900年を境に世界は良くなっている!

「FACTFULNESS」という本の78-81Pに「減り続けている16の悪い事」「増え続けている16の良い事」がデータとして纏められている。

このデータを眺めてみると、確かに1900年代以降に急速に世界は良くなっている。1990年代以降に世界に起きた良い変化をいくつか列挙してみよう。

  • 合法的な奴隷制度は急減した 。
  • 女性参政権、女子教育、識字率は急増した。
  • 科学技術が大きく発展した。
  • 予防接種を受けている子供の割合は急増した。
  • 乳幼児の死亡率が急減した。
  • HIV感染者は1996年を境に減少に転じた。
  • 天然痘などの一部の感染症は撲滅された。

勿論、負の側面もある。例えば環境破壊などは深刻だ。だが、乳幼児の死亡率が減少し、感染症との戦いに部分的に勝利し、人種/性別による差別が減った。この実績は揺るがないだろうし、これらを引き換えに自然を守るという主張は受け入れられないだろう。人間ってエゴいよね。

自由主義の最大の功績:テクノロジーの進歩

特に科学/テクノロジーの進歩に対する「自由」の貢献はすさまじいものがあるだろう。

過去の世界では、アイディアや発見は個人の頭の中に閉じ込められていた。移動出来たとして、せいぜいその町の中から出る事はなかった。

自由主義はこの牢獄を解き放ち、個人のアイディアを世界中に広げた。

みんなのアイディアが世界中に広がり、分野の垣根を飛び越えて交わる。異なる価値観が融合し、新たな価値を生み出す。

考えただけでワクワクするような世界だ。この融合が科学技術を推進したのは間違いないだろう。

2019年の終わりにNature誌から「150 years of Nature」という記事が報告された。Nature誌の150年の軌跡をデータで読み解くという興味深い論文だ。

この論文によると「科学者たちの国際的なコラボレーション」は圧倒的に増えている。Natureに投稿された論文のうち、下記の図のオレンジ色が「国際的なチーム」によって生み出されたものだ。

150 years of Nature: a data graphic charts our evolution」 より図を引用

最近ではいかに効率的なコラボレーションを産みだすか?を科学的な観点で捉える研究も増えている。ここでは割愛するが、詳しく知りたい人は「Group Genius」という本がおススメだ。

【自由の基のコラボレーション】これは現代の科学の大きな推進力なのだ。

という訳で、科学とテクノロジーの発展は、自由主義のお陰で大きく前進した。恐らく、共産主義やファシズムの世界では、ここまで科学とテクノロジーは実現されなかっただろう。目的ありきの研究は視野が狭くなり、予想外の発見に繋がらない事が予測されるからだ。

「クレジット」という考えに基づく自由市場も世界を一新した。様々な起業家が、次々とアイディアを試し、私たちをびっくりさせ、世界を塗り替えていく。

という訳で、私たちの今の便利で素敵な生活は【自由】に根差している。

最新科学が次々と病気の原因を明らかにし、私たちは長く健康に生きられるようになる。テクノロジーが生活を豊かにし、今ではあらゆるものが自宅で手に入る。そして、至る所に自由を賛美するメディアが溢れている。いつだって主人公は「挑戦し、葛藤し、本当に自分に出会い、栄光を手に入れる」のだ。

一体どうやって自由を嫌いになれるというのだろう?

ラッパー
ラッパー

自由万歳!自由万歳!

【小括】自由賛美の歴史的背景
  • 1900年代の戦いで自由主義が勝ち残った。
  • 自由主義は世界を良くしてきた。
  • 私たちはその恩恵を享受している。また、自由主義が語るストーリーにも共感している。
  • 従って、私たちは自由が大好き。

ところが最近、この自由楽園に不穏な死の足音が聞こえてきている。

その死の足音は意外なところから聞こえてきた。

なんと自由のお陰で大きく発展した、科学技術が自由を殺そうとしているのだ!育てて貰っといて、何事か!この、親殺し~!

以下では【自由の死】に関わる2つの科学技術を紹介していく。

死の足音①:脳科学「自由意志?んなもんねぇよ!」

自由が最高!という思想の前提条件として、自由意志が存在しなければならない。

当然だ。無いものを最高!とは言えない。

では、そもそも、自由意志とは何か?

自由意志とは、自分の自由な意志に従って【判断を下すこと】だろう。

では、ヒトはどの様に判断を下すのか?

この疑問に関連して、面白い研究結果がある。この研究によると、どうやら判断を下すためには感情が必要な様だ。

脳外科手術で「感情的部位」を失った人は、一分の隙もない論理的な人間になるわけではなく、「決断を下せない人」になる。

WIRED:「 30秒で読む「意思決定の脳科学」 より引用

どうやら感情が生み出す「動機付け」や「目的」は効果的な意思決定に必要らしい。

有能なビジネスマンだったエリオットは、脳腫瘍を切除するための外科手術を受け、脳の「眼窩前頭皮質」を切除された。これは、前頭葉と感情を結びつける部位だった。その結果エリオットは、映画『スタートレック』に登場するミスター・スポックのような、感情が欠落した人間になってしまった。しかし、感情を持たないからといって、一分の隙もない論理的な人間になったわけではなく、むしろ決断を下せなくなってしまったのだ。

WIRED:「 30秒で読む「意思決定の脳科学」 より引用

自由意志とは判断を下す事だ。判断を下すという事は、感情が生み出す「動機付け」や「目的」を検証するという事の様だ。

つまり、感情の存在が自由意志が存在する前提条件だと言える。

なんとなく、この結論はしっくりくるような気がする。というのも「感情≒こころ」というのも自由主義の物語の中ではとっても大切なものとして語られるからだ。

ここまでの推論に矛盾がなければ、仮に私たちの感情が外部からコントロールされる様な事があれば、自由意志は死ぬことになる。チーン。

こころを作る脳科学

近年、脳科学は凄い領域に達している。なお、本章を書くにあたって「つながる脳科学」ブルーバックス出典を参考にした。

結論を先に言おう。脳科学は、マウスにおいて感情を自由自在に作り出す事に成功している。人間にも技術的には応用可能だが、倫理的には許されないだろう。何故って?自由が死ぬからだ。

感情を作り出すとは一体どういう事だ!?具体的に説明していこう。

【記憶】は【感情】とリンクしている。例えば、過去に怖い経験をした場所に行くと、怖いという感情が励起される。

では【記憶】とは何か?私たちが何かしらの経験をするとニューロンが発火する。発火はやがて収まるが、その後も神経細胞に何かしらの【物理的/科学的な変化】が維持される。これが【記憶】だ。

こうした【記憶】を保存する【記憶細胞】は各々の記憶ごとに個別に存在している。

話はずれるが面白い報告がある。ある癲癇患者さんに色々な写真を見せながら、どの神経細胞が発火するかを調べた研究で、トムクルーズの写真を見せたときにのみ発火する「トム・クルーズ細胞」が見つかったそうな。

面白いのはトムクルーズの写真を見せたときだけでなく「トムクルーズ」という文字でも同じニューロンが発火するし、この患者さんが「トムクルーズを見た」と言うだけでも発火するらしい。

話を元に戻すと、 記憶は個別の記憶細胞に保存されており、その記憶細胞が発火する事でその時に経験した感情も励起されるという事だ。

科学者は考えた。記憶細胞を人為的に発火させることで、感情を作ることが出来るだろうか?

答えはマウスにおいてYESだった。

科学者たちが感情を作る事に成功した「状況依存的恐怖条件付け」という実験手法を説明していく。

まず、マウスをゲージAに入れ、電気刺激を与える。するとマウスは【ゲージAの記憶細胞】を作り、この記憶は【恐怖】と結びつく。

その結果マウスをゲージAに入れると恐怖を感じるようになる。

次にマウスをゲージBに入れる。当然マウスは恐怖を感じない。だが、オプトジェネティクスという特殊な手法を用いて 【ゲージAの記憶細胞】 を発火させてやると、マウスはゲージBにおいても恐怖を覚えたのだ。

つまり、恐怖という感情を、恐怖に結びついた特定の神経細胞を刺激してやることで作り出すことに成功している。

更に、科学者たちはマウスが経験してない記憶をマウスの脳内に作ることにも成功している。

まずマウスをゲージAに入れる。電気刺激は無しだ。マウスは 【ゲージAの記憶細胞】を作る。

次にマウスをゲージBに入れ 【ゲージAの記憶細胞】を発火させながら電気刺激を加える。するとマウスはゲージAを恐怖するようになったのだ。

という訳で、感情は外部からコントロールする事が理屈としては可能である。感情がコントロールされれば、自由な判断はできないので、自由意志もコントロールされてしまう。従って、自由意志は案外脆いものだという事が解った。

なんだか恐ろしい話だが、こうした研究の目的のひとつは病気の治療だ。例えば、うつ病にしたマウスに楽しい記憶を励起させることで、うつ病の症状を一時的に和らげることができた、という結果もある。

その他アルツハイマー、PTSD、自閉症などなど、様々な神経/精神疾患の治療にこうした研究結果は役に立つだろう。

技術や知識自体には善も悪もない。それをどう使うかによって善悪が決まる。そういうものだ。

ただ、ひとつ事実ベースで言えそうな事としては、自由意志というものは案外脆そうだな、という事だ。だって、ある種の神経を発火させることでコントロール可能なんだもん。

え?自由意志ってないの?

【小括】脳科学と自由の死
  • 脳科学はマウスにおいて、記憶や感情を人為的に励起させることに成功している。
  • こうした知見は病気の治療に使用される。
  • でも、案外自由意志って脆いよね、ってか無いんじゃね?という事実も露呈した。

死の足音②:人工知能&ビックデータ【ワタシガヤッテオキマスノデオマエハヘデモコイテロヤ!!】

確かに、自由意志は存在として脆そうだ。ってか幻想なのかもしれない。脳は非常に良く出来た回路であって、私たちが想像するような”心”は存在しないのかもしれない、

だが、一体全体それがどうした?という反論が聞こえてきそうである。

確かに、脳科学が示すように、人間は良く出来たアルゴリズムで、簡単に外部から書き換えが可能かもしれない。でも実際にそんな事するやつはいないじゃないか?

俺は依然として帰りにミスドに行きたいと思えば行けるし、美味しいドーナツを食べる事が出来る。例え、科学がどれだけ進展しようと、私が私の自由意志を実行している限り、一体何の問題があるのだ!?と。

その通りだ。

だが、私たちはその現実的な行動を伴う自由も気が付かないうちに少しづつ失っているのかもしれない。

その背景にいるのは、既に私たちの生活に溶け込んでいるビックデータと手を組んだ人口知能だ。

例えば、Amazonで買い物をする。あなたの履歴から、人工知能があなたの好みそうな商品をお勧めしてくれる。ついつい買ってしまう。私は音楽が好きなのだがAmazon musicにはいつもお世話になっている。私の再生履歴からおススメされるアーティストは、結構な確率で良い。

便利だ。

今の世の中は情報量と商品が多すぎる。そこから好きなものを見つけて消費するのは一苦労だ。ある程度の自由をAmazonやGoogleに譲渡して、時間を節約した方がストレスは少ない。少しずつ自由の消滅は既に始まっているのだ。

それの一体何が問題なのだ?という反論が聞こえてきそうだ。便利だからいいだろ!と

全く持って同意だ。便利だから良いと私も思う。私の個人的な意見だが、全てに自由を行使する必要はない。恐らく全てに自由を行使しなければいけない世界は地獄だ。私たちは映画の主人公の様に【本当に自分にとって重要な判断をする時だけ】自由を行使すればよいのだろう。

グッバイ、自由。

でも【本当に大事な自由】ってなんだろう?

日に日にテクノロジーは進歩し、私たちが気が付かないうちに、私たちの自由を侵食している。変化はあまりに静かにやってくるので、気が付いたら何も手元に残されていないという状況になりかねない。

従って、私たちが何を失いつつあるのか、まだ何が残されているのか、をしっかり定義することは重要のように感じるのだ。

私たちが有する3つの自由

という訳で、私たちが失いつつある自由、まだ手元に残されている自由を区別して定義してみよう。

そもそも自由主義が定義する人間の自由とは何か?

自由主義は、政治/経済/私事という3つの観点から自由をそれぞれ定義する。

  • 政治:有権者が1番知っている。だからみんなに選挙権を与えよう!
  • 経済:顧客は常に正しい!だから市場に自由を与えよう!
  • プライベート:他人の自由を侵害しないか限り、個人の自由が至高だ!

さて、私たちは上記のどの自由を失い、どの自由を未だ保持しているのだろうか?

失われつつある経済の自由

私たちが徐々に失いつつあるのは、恐らく経済の自由だろう。特に失われつつあるのは顧客側の自由だ。手っ取り早く気に入った商品に出会いたい。その為にはアルゴリズムに自身を委ねる事は悪くなさそうだ。

売り手側も、今では昔ほど顧客の自由意志を信じていない様に見える。行動経済学は、顧客は常には合理的でなく、不条理な消費活動をすることが次々と明らとしており、顧客の無意識な心理や無自覚な消費活動に焦点を当てたマーケティング手法が流行っているように見える。

売り手側も今ではデータに重きを置く。やってみなければわからないので、少しやってみてデータをフィードバックし次の作戦を練る。ABテストのような手法が重視され、プロトタイプが重視される。

顧客は疲れている。自分が何を求めているかも良く解っていない。商品が多すぎる。簡単に好みの商品にアクセスできるのであれば、私たちは自由を失いたいとすら感じる。

失われつつある政治の自由

政治の自由はどうだろうか?未だ私たちは選挙権を有している。

そりゃそうだ。私たちの、私たちによる、私たちのための政治だ。デモクラシーってそういうもんだ。

だが、この民主主義も徐々に雲行きが怪しくなってきている。

下記は、総務省が公開している日本の衆議院議員総選挙における年代別投票率の推移だ。特に若い世代は選挙への関心を失いつつある様子が見て取れる。

総務省が公開している衆議院議員総選挙における年代別投票率の 調査結果より引用

この傾向は日本だけではない。社会実録データを纏めているHPより引用した下記の図によると、自由が華々しく世界を風靡した1990年代から、多くの諸外国において投票率は減少している。

社会実録データ図録より引用

この図ははなかなか興味深い。実はアメリカは日本よりも投票率が低い。ギリシャ/ラトビア/チェコ/スロバキア/エストニア/スロベニア/ポーランド/チリの投票率の急落具合は凄い。何があったのだろう?特にチリはやばい。日本も世代交代が進めば一気に急落しそうだ。

もっと自由が制限されていた時代、投票の自由を勝ち取るためには命すら惜しまなかった人間が沢山いた。だが、自由な投票権が与えられると、人々は急速に関心を失いつつある。

という訳で、世界は全体として民主主義に興味を失いつつあるのかもしれない。

***

因みに非常に話が長くなるので本記事では触れないが、自由主義というイデオロギーは本当に死にかけている。トランプ大統領の台頭やブレグジットなどが象徴的な出来事だ。少し古い記事だが「自由主義的な世界秩序の終焉」という記事が参考になるだろう。更に情報を収集したい方にはお勧めだ。

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民主主義への興味の喪失について、私見だが、世の中が複雑になりすぎて、政治的な判断を個人が行うことが難しくなってきていることが要因ではないかと感じている。政治の事はさっぱりだし、情報収集する時間もない。

ユヴァルノアハラリは「21 Lessons」の中で民主主義的な選挙は合理性でなく感情にまつわるものだ、と指摘している。

例えば、会社で考えてみると分かり易い。研究所で重大な判断する。ある化合物を臨床に進めるか否か、超重要な判断だ。その時に、会社の全員に意見聞くか?開発や営業の人に「いや~このマウスの結果はイケイケやと思うんですよね~なぜならこのシグナルが~」と説明しても、相手は( ゚д゚)だろう。( ゚д゚) インジャナイスカネー

なので会社では詳しい人だけが集まって、データと知識を基に判断する。それに対し、開発や営業の人が不満を言うことはない。そうしたほうが合理的な判断が出来るとみんなが納得しているからだ。

一方で、例えばブレグジットの様な超複雑な問題を正確に把握している国民は一部だろう。一部のプロフェッショナルで議論して決めたほうが結果は合理的だろう。だがそうしないのは、国民の感情が合理性よりも優先されるからだ。

私は比較的合理的な事が好きなのでおいおい…と思ったりするが…

より世界がシンプルだった時代は国民投票は機能したのかもしれない。だが、世界は複雑になりすぎた。選挙はもはや国民の感情の部分が強すぎる。

しかし、政治の自由を放棄するのは何となく嫌だ。「選挙に行こう!」というCMが象徴するように、世論は積極的に選挙に参加し、政治の自由を行使する事を良しとしている。

恐らく、私たちが政治の自由を放棄するのを怖がる理由は、一部の権力者が好き勝手に庶民を支配する世界を想像するからかもしれない。政治の腐敗だ。

では【客観的なビックデータ】を基に人工知能が政治が行う世界はどうだろう?そこには腐敗はないはずだ。

アリかな?と私は思ったりする。政治に無知な若者の尻を叩いて選挙に行かせるよりも、合理的かなぁと思ったりする。AIが政治出来るかはわからないけど、もし出来たらの話。AI上司みたいなのは確か報告あったような気がするなぁ。

私と同じ意見の人はどれだけいるだろう?先の投票率の低下を見ると、案外同調してくれる人は多いかもなぁと予想する。

もはや、デモクラシーはしんどい。よくわからん。

投票率から推察するに、世界的に政治の自由は放棄されつつある。

最後に残されたプライベートの自由。

さて、最後に残されたのは【プライベートの自由】だ。これが1番大事な気がする。

Apple watchのCMに対する嫌悪は恐らく【プライベートの自由】への侵略かもしれない。日常の些細な判断に関してまで、機械ごときが口を出してきやがる。ムカつくぜ。

確かにムカつく。だがちょっと落ち着いて、アルゴリズムたちの主張をよく聞いてみよう。どうやら彼らの主張は「自由をよこせ」ではない。「健康と引き換えに自由をよこせ!」というものだ。

科学技術の革命は、常に医療現場から救世主の顔をしてやってくる。研究者に何のために研究しているのですか?と聞けば大体は「治療の為さ」と答えるだろう。今では金持ちマダムの鼻を数ミリ高くする整形手術だって、最初は戦争で顔面を吹っ飛ばされた兵士の為の治療だった。あらゆる技術革新は最初は【医療への貢献】という登竜門を通って世の中に入るのだ。

今現在【医療への貢献】という登竜門を潜って、様々な技術が私たちの世界に登場している。ウェアラブルデバイス、リアルワールドワイドデータ、治療から予防へというやつだ。こうしたヘルスケア分野のデジタル革命は、私たちの健康をより促進する。一部の自由と引き換えに。

「ヘルスケア産業のデジタル経営革命」という本は、AIやウェアラブルデバイスたちが自由を奪いながらも、健康で素晴らしい生活を私たちに与える未来を描く。

特に私は66Pからの「日本の近未来ストーリー~山田さん一家の暮らしとヘルスケア~」という部分が大好きだ。

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近未来の山田さん一家では、血糖値が高めのお父さんの食事や体の情報をAIがリアルタイムで管理し、医療機関の受診を勧めたり、食事/運動アドバイザーのサポートを勧めたりする。DNA情報を基に治療やサポートはオーダーメードで行われる。

介入の効果はウェアラブルデバイスで逐一管理され、フィードバックが行われる。指示された運動をサボったり、飲み会後の締めのラーメンを食べると警告が送られてくるかもしれない。

おじいちゃんはちょっと認知症が始まっており、ウェアラブルデバイスの「見守りWatch」が支給されている。徘徊しても見失うことはない。更に、高齢者の徘徊データは蓄積され、都市計画に利用される

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なんと合理的で素晴らしい世界だろうか!最初読んだときに素直にそう思った。

ここには自由が部分的に欠けている。Apple WatchのCMに見たような、自由の死だ。

経済の自由を失い、政治の自由を放棄し、そして最後のプライベートの自由を健康と引き換えに部分的に捨て去ろうとしている。

私たちは知らず知らずのうちに、いや、目の前の快楽や多忙に忙殺されているうちに、最後の自由を失う寸前まできてしまっている。この最後の抵抗が、Apple WatchのCMに対する嫌悪だったのだろうと私は考察している。

まだ残っている自由

とは言え、まだ自由は残っている。健康と引き換えに失われる自由は、脂ギトギトのラーメンを食べる自由だったり、ぐーたら過ごす自由だったりする

まだ、例えば誰かを愛したり、何かを学んだり、空想したり、旅に出たり、本を読んだり…いくらでも私たちの残された自由を上げることが出来る。

それらの自由、恐らく私たち人間を人間足らしめている自由だ。

これらは今後、失われる可能性があるだろうか?

実は、これが本記事の最大の問いだ。

ここまで失われた自由を眺めてきて、私が一つ気が付いたことがある。

それは、合理性が重視される文脈で人々は自由を喜んで手放すという事だ。

自由は常に合理的ではない。一方で、統計に基づくアルゴリズムの判断は合理的だ。従って、人々が合理性を望むような文脈(例えば、消費活動、政治、健康など)においては、自由がアルゴリズムに置き換わることを私たちは喜んで認める様だ。

この観点で眺めると未来が少し見えてくるかもしれない。

例えば愛はどうだろう?非常に人間的な営みで、アルゴリズムが入り込む余地はなさそうだ。だが、本当にそうなのか?

例えば、今では3組に1組が離婚しているそうだ。私たちは恋にのぼせてバイアスのかかった頭で、相手を運命の人だと勘違いする。結果として痛い目に合う人が3人に1人いる。自由な恋愛の成功確率はその程度だ。

では、アルゴリズムが提供する恋愛はどうだろう?例えば、DNA情報やアンケートによって割り出された性格によって、人工知能が異性をマッチングしたらどうだろう?アルゴリズムは合理的な判断によって、不幸な恋愛を減らすかもしれない。仮に人工知能が離婚率を大幅に減少させたという研究結果が得られたとしたら、私たちは恋愛の自由を放棄するだろうか?

思考の自由はどうだろう?私たちは、自由に物事を考える。表現の自由は、この思考の自由に根差している。何物も私が何を考えるかを阻害したりコントロールしたりするものは悪だと感じる。

だが、不幸な思考を幸福な思考に変えるお薬はどうだろう?実際に、うつ病などの精神疾患の治療薬として、思考を調整するテクノロジーは既に登場している。

仮にうつ病とまではいかなくても、私たちは余計な思考のせいで生産的になり切れない場面がある。職場でも「こころ」が邪魔をして合理的な行動に出れないことがままあり、それらが生産性を下げている場面も多い。

不安が付きまとう夜、プレッシャーに押しつぶされそうな会議の前、一粒飲めば最高に幸福でクリエイティブになれるお薬が目の前にある。副作用もない。あなたは飲まないのだろうか?そこまでして守る自由に【本当に】価値があるのか?

自由な思考すらも科学技術に委ねたいと思う瞬間が無いと言い切れるだろうか?

より合理的になるなら、ビックデータや脳科学に全ての自由を委ねた方が良いのかもしれない。

この様な調子で、自由と合理性のどちらが大事か?という観点で眺めていくと、私たちに残される自由が見えてくるかもしれない。

私見だが、私たちには多くの自由は残されないだろう。そもそも自由など必要ではなかったのかもしれない。

ここまでのまとめ
  • 自由には【経済の自由】【政治の自由】【プライベートの自由】がある。
  • モノが溢れた世界で私たちは【経済の自由】を放棄しつつある。
  • 複雑化した世界で私たちは【政治の自由】を放棄しつつある。
  • 健康と引き換えに【プライベートの自由】を放棄せよ、という囁きは魅力的だ。
  • 自由は常に合理的ではない。一方でビックデータは常に合理的だ。従って、合理性が重要視される文脈では私たちは今後自由を失い、判断をビックデータに譲るだろう。

真夜中に耳を澄ませる話

という訳で、本記事の裏の主張は【自由ってそんな良いもんなの?】というものだった。私たちは、歴史的背景から自由を盲目的に信仰しているが、世の中が複雑になるにつれて、自由は間違いを犯すようになってきた。そんな現在で大事なのはビックデータに基づいた合理性なのかもね、だから自由にさいならする覚悟/判断基準を持っとこうぜ~ってのが私の個人的な意見だ。

なんだか当初の予定よりも恐ろしい記事になってしまった。

最後に、個人的な経験に基づくもこもこした話をして締めくくろうと思う。自由と聞くと、外界に対して積極的に飛び出していくような印象を持つが、これからの自由に於いては、自分の内側により深く沈み、自分を知ることが重要かもしれない。

***

ところで、私がまだ20代だった頃、大学キャンパス内で知り合って仲良くなった女の子がいた。その女の子はとても可愛かった。ショートカットが似合って、お洒落で、初めて見たときはひとりでニコニコしていた。しかし、どこか謎めいた、不思議な知性を秘めたような、掴み処のないところもあった。

彼女とは数回デートをした。川上弘美の小説が好きだというので、川上弘美の小説を集めて読んだ。「溺レる」と「センセイの鞄」は今でも好きな小説で、パラパラページをめくると相当読み込んだのだろう、マーカーで線とか引いていある。「モウリさん、わたしカスタネット叩くよ」という台詞に力強く赤のマーカーが引いてある。 意味がわからん。

因みに、カスタネットにアンダーラインした背景を説明しておくと、「溺レる」は現実から逃避し、愛欲に溺れながら堕落していく男女の終末の美しさ、儚さ、みたいなんを表現した短編小説なんだけど、優しくしてくれた街からも逃げ、もう夢も希望もないぜ~という虚無の夜、2人して過去の記憶から少しでも温かいものを集めよう、じゃなきゃ寒すぎて死ぬわって場面で、ふと女が思い出す。そういや私楽器叩けるんだったわ。小学校の頃、吹奏楽部で市の大会で2番だったのよね。などと。そんでこのセリフ「モウリさん、わたしカスタネット叩くよ」。悲しい。いじらしい。虚無の夜に空想のカスタネットの音が響き虚しさを一層濃くする…

とまぁ、カスタネットが当時の私の中でしばらくはキーワードだった。もし当時Amazonを使っていたら、速攻でカスタネットを購入して、「溺レる」の感想がてら、彼女の前でカスタネットをカチカチやっていたかもしれない。考えただけで恐ろしい。

***

研究は忙しかったので、会うのは大体夜だった。研究室から抜け出して、自転車を漕いで会いに行って、公園で話をしたりした。何を話していたか、大体は忘れた。たぶん「この間食ったパンがうまかったぜ~」みたいな事を彼女が言って、それを私が「ほう!ほう!」と聞いていたのだろう。そんなとりとめのない会話の中で、今でも強烈に記憶に残っている場面がある。その日はとても寒くて、なんか、趣味ってなんスカ?みたいな話をしてたと思う。静かな夜の公園で、大きな桜の木をぐるりと囲んだベンチに座っていて、唐突に虚空から犬の遠吠えが響いたのだった。その遠吠えの発生源を探すかのように彼女は空を見上げ、言ったのだった。

「真夜中に目を閉じて耳を澄ますと、いろんな音がするんだよね」

そういって彼女は目を閉じて、手を耳に当てたのだった。その姿に当時の僕は完璧にノックアウトされた。あまりに可愛すぎた。人知を超えた可愛さだった。分子レベルの可愛さだった。今考えると底なしにアホみたいだ。

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【自由の死】を考え、情報を整理し、記事を書きながら思い出したのは、夜の公園で目を閉じて耳を澄ました彼女の事だった。合理性を超えた世界というのは、案外真夜中の公園に転がってたりするのかもな、と非合理な頭で考えた。目を閉じて耳を澄ます。夜中の公園のブランコに座り、試しにやってみると良い。風の音、車輪が車道を噛む音、遠い犬の鳴き声、自分の心臓の拍動。透明な光の手がそっと目と耳を覆うような感覚だ。なんだかとってもアホみたいだ。

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現代人は忙しい。朝から夜までトップスピードで、心を落ち着けて何かをじっくり考える暇もない。数分の隙間時間すらSNSをチェックするのに忙しいし、積読は積みあがる一方で、やらないといけないことが山積みだ。

だから、自由をがんがん捨てて、合理的になって、生産性を上げていけばよい。概ね賛成だ。

だが、しばしば自分の感覚に耳を澄まし、呼吸の音を聞き、心臓の拍動を感じ、脳神経の発火を意識する時間があってもいいのかもしれない。ユヴュルノアハラリも自由の失われつつある世界で【瞑想】がおススメだよ、などと言っている。

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今思い出すとなんだかアホみたいだが、いい想い出だなぁなどと思ったりする。夜の公園で耳を澄ます少女、このイメージは私の中でほぼ永遠に【自由のメタファー】として残り続けている。

コメント

  1. 博士課程学生のフォロワーA より:

    拝読しました。
    仰る通り、非合理的なものを選択する自由にヒトは人間らしさを感じるのかもしれません。
    攻殻機動隊、電脳化する9課の中で、不便を知りつつも電脳化を最低限度に留めたトグサには
    人間臭さを感じます。つまり今の時点では、まだ好感が持てます。

    しばらく移行期間が続くのでしょうが、投稿者さんと同様に私も
    自由を選択することで他の人よりも抜きん出て合理的に行動できるならば、
    自由を喜んで捨てるという選択を取ります。

    個人的には、既存のビッグデータの寄せ集めから次に流行る未開拓分野が
    ある程度予測できるまでAIが進むか興味があります。
    (細菌学レベルだった時代からCRISPR/Cas9の出現と隆盛を予測できたでしょうか)
    (あればプロトタイプで構わないので私は購入したいです)

    • Parai Parai より:

      博士課程学生のフォロワーAさん、コメントありがとう。
      私はアニメ見ないんですが、面白そうですね。おススメあったら教えて~!

      私見ですが、CRISPRなんかを予測するのは難しいでしょう。
      AIはデータと答えを照らし合わせて学習するので、答えがない未来は予測できないだろうなと。
      歴史のパターンからマクロな傾向を予測する事は可能でしょうが、ピンポイントでこれくるぜ!ってのは難しいでしょう。

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